明倫館の歴史・沿革を紹介します。
- 明治16年(1883年)
-
宇和島伊達藩においては、藩政時代からつづいた優秀子弟の育英事業を、「伊達家奨学会制度」として整備。
同時に、上京学生の寮舎として、東京神田南甲賀町(現、神田駿河台3丁目)伊達家控え屋敷を提供、「明倫館」と称して自治を許し、初代館長には法学博士穂積陳重の兄重頴が就任。 - 明治44年(1911年)
-
伊達家では育英事業の一環として宇和島に伊達家図書館を開設。のち、伊達奨学会に編入。
- 大正10年(1921年)
-
5月、大塚仲町に「侯爵伊達家明倫館」開館。神田南甲賀町から移転。舎監・竹村貞一郎。
- 昭和20年(1945年)
-
4月、空襲により「侯爵伊達家明倫館」焼失。宇和島の伊達図書館もまた戦禍により3月、焼失。
- 昭和26年(1951年)
-
8月、今松治郎、松根宗一、増原恵吉、大塚栄治郎ら宇和二火会の有志によって明倫館再建の気運興る。
- 昭和27年(1952年)
-
9月、伊達奨学会を改組、「財団法人南豫奨学会」として発足。
- 昭和28年(1953年)
-
6月、目黒区上目黒、芝義太郎提供の土地に「南豫明倫館」竣工、戦後、食糧難と闘う学生諸子が競って入居。館長に大和田昇就任。
- 昭和61年(1986年)
-
8月、小金井市中町の敷地を求め、より環境の充実した鉄筋コンクリート3階建て寮舎を新築、移転。
- 平成23年(2011年)
-
5月、南豫奨学会は公益財団法人に移行。
明治以来、現在までに巣立った寮生約1,300名。
南豫明倫館歴史がダウンロード出来ます。
南豫明倫館歴史と人物早わかり [PDF]